こんにちは、松山です。報告が遅れましたが、今年もカンボジアに行ってきました。
今回の報告に入る前に、まずは
『カンボジアの医療について』
カンボジアには、私たちが想像する以上の大きな格差があります。
広大な土地に豪邸を構える富裕層がいる一方で、明日食べるものにも困るような貧困層が存在し、現在の日本人には到底想像できない現実が広がっています。
そして医療に関しても同様です。
富裕層は私立の医療機関で高度な治療を受けられますが、貧困層は州立病院に頼るしかありません。しかも、貧困層が州立病院を受診するのは、身体が相当つらくならなければ行かないのが現実です。それは、明日を生きるための生活が最優先だからです。
そして、たとえ身体に困っていても、命に関わらなければ、機能を失っても、治療を選択しません。
日本では、国民皆保険制度のもと、誰もが一定水準の医療を受けることができ、ちょっとした不調でも病院を受診することができます。そのような日本人の感覚とカンボジアの医療風景は大きく異なります。
カンボジアの大部分の貧困層の人たちは経済的な理由や医療体制の不備により、必要な治療を受けられていないのが現状です。
『カンボジア医療支援 2025』
昨年の活動報告をホームページに掲載した後、私のもとに一通のメールが届きました。
東北大学病院耳鼻咽喉科の平野愛先生からでした。
平野先生は、学生時代に医療系NGOの活動でネパールを訪れたことをきっかけに医師を志されたそうです。ずっと「自分にも何かできることはないか」と考えていたものの、子育てや日々の業務に追われ、その想いは次第に遠のいていたとのこと。そんな時に、私たちの活動を目にし、連絡くださいました。
そして今回、平野先生にも現地に同行していただくことができました。
育児中であるにもかかわらず参加していただき、一人耳鼻咽喉科医が加わることで、現地での支援活動の幅が大きく広がりました。心強く、嬉しかったです。
今年は、平野先生のご協力もあり、昨年の検診活動から一歩前進し、聴力検査のスクリーニングや、耳垢栓塞など軽微な処置を行うことができました。
『支援を通じて』
私たち一人ひとりの力は小さなものです。それぞれに日常仕事があり、家庭があり、ローンもある中で、海外に行って時間とお金をかけて活動するのは簡単なことではありません。
それでも、「自分に何ができるのか」――そんなささやかな思いでも、集まれば大きな力になります。ふと「短期間で一部の人を診たって意味がない」「難聴では命に関わらない」といった感情が湧くこともあります。でも、そんなときは「自分は一人ではない」と思い出すようにしています。
環境問題、貧困問題、世界中で起きているさまざまな課題に対しても、個々の小さな思いや行動が、必要なことなんだと思います。
『最後に』
今回改めて、「自分は与える側ではなく、与えられている側だ」と強く感じました。
衛生環境が悪く、不便なことも多いカンボジアですが、人々の笑顔や思いやりには、人と人とのつながりの温かさが溢れています。
日本は物質的にはとても豊かですが、現代日本は人とのコミュニケーションに過剰に気を遣う場面もみられ、時に心の温かさを忘れてしまいがちです。カンボジアの子どもたちの澄んだ瞳、あふれる笑顔に触れることで、互いに支え合うことの大切さ、感謝や親切、思いやりの心を、私は彼らから思い出させてもらっています。
心を豊かに保つこと――
それが、医療を通じてでも、人としてでも、大切なことなのだと改めて実感しています。
松山敏之