真冬の群馬から、大西洋の「ラテンな沖縄」へ。温度差30℃の熱狂
こんにちは。茂木です。
骨の髄まで冷える日本の真冬を脱出し、私は今、大西洋に浮かぶ陽気な島、プエルトリコのサン・ファンに降り立っています。皆様はプエルトリコをご存知でしょうか?正直なところ、私も今回訪れるまでは「名前は聞いたことがあるけれど……」というレベルでした。実はここ、アメリカの自治領なのです。そのため、物価の高さやチップ制度もしっかり米国本国仕様です。
2月でありながら最高気温は30℃弱。湿気のないカラッとした初夏の風が吹き抜けるこの地は、まさに「ラテンな沖縄」。しかし、一歩学会場に足を踏み入れれば、そこはアメリカ設定の「極寒」の冷房が効いた別世界。この強烈な温度差こそが、国際学会の醍醐味(?)でもあります。
今回ここを訪れた目的は、耳科領域におけるサイエンスの総本山、第49回ARO(Association for Research in Otolaryngology)MidWinter Meetingに参加するためです。臨床の祭典がCOSMなら、AROは「ガチ勢」が集う基礎研究の聖域。世界中から集結した聴覚研究の精鋭たちが、これまでの「難聴の常識」を根底から覆す、驚愕の未来を提示していました。
「治る」時代の幕開け:人工内耳の地位を脅かす!?「遺伝子治療」最前線
今回の学会で最も熱い視線を浴びていたのは、遺伝子治療の爆発的な進展です。特に、特定の遺伝子変異による難聴(OTOF:オトフェリン)に対する治療は、すでに世界各国で臨床試験が進んでおり、その成果は我々専門家の想像を遥かに超えるものでした。「もしかしたら人工内耳に代わる選択肢になるのでは?」というレベルの結果が報告されているのです。
さらに、日本人にも多いとされるGJB2やSTRCといった遺伝子をターゲットにした研究も、前臨床段階で確実な進展を見せています。補聴器や人工内耳で「音を補う」時代から、遺伝子レベルで「難聴を根本から治す」時代へ。その足音が、すぐそこまで聞こえてきました。
「心の耳」を読み取るAI。脳波とシンクロするSFの現実化
補聴器テクノロジーも、AIとの融合によってSF映画のような領域へと足を踏み入れていました。 現在、深層学習(DNN)を用いたリアルタイムの音声分離技術が急速に進化していますが、その先にあるのは「脳波」との連動です。いわば、AIがユーザーの「心の耳」を読み取る技術。会話中の脳波を解析し、ユーザーが「今、誰の声を聞こうとしているのか」をリアルタイムで判断。その声にだけスポットライトを当てるように強調するのです。カクテルパーティー効果をテクノロジーで再現するこの進化は、騒音下での聞き取りという難題を解決する打ち手になるかもしれません。
ボクシンググローブから「光の鍵盤」へ。人工内耳、解像度の革命
今回、私が最も知的好奇心を刺激されたのは、「光」で蝸牛神経を刺激する次世代人工内耳の研究です。 従来の電気刺激には、どうしても「刺激が周囲の神経に広がってしまう」という物理的な限界がありました。例えるなら、「ボクシンググローブをはめてピアノを弾く」ようなもので、細かい音の重なりや音楽を再現するには限界があったのです。
これに対し、遺伝子工学で神経に光感受性タンパクを発現させ、マイクロLEDでピンポイントに刺激する「光人工内耳」は、圧倒的な空間解像度を誇るとのこと。これが実現すれば、難聴者が失っていた音楽の繊細なメロディや、愛する人の声の細かなトーンを、より鮮明に、より豊かに取り戻せる可能性を秘めています。
知の熱気に呑まれる。1000演題が紡ぐ終わらない議論
ポスター会場の熱気は、これまで参加した学会の中で群を抜いて一番でした。ポスター演題も1,000件近くにも及ぶ凄まじいボリューム。1時間半のセッションが終わっても、あちらこちらで議論の輪が続き、会場を閉めるまで熱いやり取りが止むことはありませんでした。
テクノロジーは万能か?最強のデバイスでも埋められない「孤独」
技術の進化に胸が躍る一方で、私自身もひとつの知見をポスター発表として提示しました。演題は「Social Frailty Predicts Three Month Hearing Aid Outcomes in Community Dwelling Older Adults」。 調査の結果、外出頻度が低かったり、友人との交流が乏しい「社会的フレイル」の状態にある高齢者は、どれほど優れた補聴器を導入しても満足度が上がりにくいという傾向が明らかになりました。テクノロジーは戦いの半分に過ぎず、残りの半分は「人間らしいつながり」の中にあります。ただ音を大きくするだけではなく、患者さんが社会とつながり直すための包括的なサポートこそが、聴覚ケアの真の成功を握っているはずです。
英語の壁と「ぐんまちゃん」。世界に揉まれる悦び
世界最高峰の学会は、決して華やかなばかりではありません。私自身、英語でのディスカッションに冷や汗をかき、「今の質問、もう一回ゆっくり言ってくれ……」と心の中で叫ぶ瞬間が多々ありました。特に、基礎研究のバックグラウンドが不足していることへの悔しさは、今更ながら大学院進学を迷っている先生方に「迷う暇はない、すぐに行くべきだ」と助言したくなるほどです。
しかし、そんな緊張感を解きほぐしたのは意外な交流でした。アメリカ人のPhD研究者が「ぐんまちゃん、知ってるよ!先日、日本を旅行して、群馬と山形に行ったんだ」と話しかけてくれたのです。プエルトリコで、難聴者の社会的つながりの希薄さと、ぐんまちゃんの話題で盛り上がる。こうした、日本で臨床だけをしていては味わえない瞬間が、さらなる研鑽への原動力となります。自分の未熟さを痛感し、冷や汗をかきながら世界の最前線に食らいつく。この高揚感と悔しさこそが、次なる一歩を踏み出すための糧になります。
パステルカラーの古都で描く「次の一手」
学会の合間、世界遺産サン・フェリペ・デル・モロ要塞から大西洋を望み、パステルカラーの旧市街を歩きました。空の青と街並みの色彩のコントラストは、目を見張るほど鮮やか。英語を聞き取るだけで疲弊しきった脳(これぞ、まさにListening Effort!)。しかし、海風を背中で受けながらパステルカラーの街並みを歩いているだけで、その重みが心地よくリセットされていくのを感じます。
サン・ファンの夜は更けて
そして、お楽しみの食事!日本から合流した先生方とテーブルを囲み、プエルトリコが誇る食文化に舌鼓を打ちました。赤身肉の旨味が爆発する「チュラスコ」、そして見た目も味もまさに肉のトマホークな豚肉料理「チュレタ・カンカン(Chuleta Kan-Kan)」。プエルトリコのソウルフード、海老のMofongo(モフォンゴ)も絶品。なかなか日本では体験できない、野生味あふれる力強い味でした。
聴覚技術の進化は、単に「聞こえ」を改善するだけでなく、人間関係や社会のあり方そのものを変えていく可能性を持っています。遺伝子治療、AI、光刺激。革新的で刺激的なテクノロジーは、間もなく私たちの手元に届きます。しかし、それらをどう使い、いかにして患者さんの「人生の質」を豊かにしていくか。その答えを出すのは、私たち一人ひとりの専門家です。
「自分は将来、どんな医療を届けたいのか」。パステルカラーの街並みを後にしながら、改めて自分に問いかけました。次に参加する際は、もう少しBasic Research寄りの演題でも勝負したいと心に誓っています。
最後になりますが、快く送り出してくださった医局の先生方、診療をフォローしてくださった皆様、そしていつも温かく支えてくださる同門会の皆様に、心より感謝申し上げます。





















