どーも、サンディエゴでは西海岸の夕日に黄昏れていた松山です。
行ってきました、第36回日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会。
場所は下関。
なんと言っても、遠い!
新幹線、飛行機、バス、在来線、徒歩とほぼすべての交通手段を駆使して行ってきました。
『高杉晋作、木戸孝允を初めとした長州の幕末志士たちは、馬や帆船しか交通手段がないような時代に、ここから遠い江戸へ倒幕の野心を持っていた。やはり連中はみなぎる闘志の持ち主だったのだな』と着いて早々に思いました。
さて、うちの医局からは、教授と私の二人での参加です。
教授は『頭頸部扁平上皮癌患者の循環癌細胞におけるPD-L1/PD-L2分子の発現』と題して、日頃の研究報告を行い、さらに若手研究者で争われる奨励賞応募演題の審査員、座長を務めておられました。
教授の口演の裏では好酸球性副鼻腔炎の演題がありましたので、私はそちらをチョイスしボスの口演は聞かず( ゚Д゚)
ちなみにボスにそちらに行けと指示もらっています。
奨励賞応募演題では同じ世代の人たちが熱い研究成果を発表しており、大きな刺激を受けました。
私は『ドーパミンD2様受容体アゴニストによる好中球性炎症の抑制』と題して口演してきました。
たいした演題ではありません。
学会全体としてはやはり腫瘍免疫、好酸球性副鼻腔炎の病態に関する研究演題が多かったですね。
舌下免疫などの臨床報告はすべてポスターに回されていました。
日程がタイトであったのと、下関で特段行きたいところもなかったため、下関では学会会場以外には出かけていません。
私は小倉に宿泊したため、毎日、関門海峡を往復しましたが、電車の中の関門海峡はトンネル内で真っ暗。
良く分からず、関門海峡を横断していました。
懇親会ではもちろん下関名物フグを堪能。
大学時代の後輩、小倉記念病院消化器内科川野先生と食事し、下関の海鮮物と日本酒も堪能しています。
また来年も参加できるように、日々研鑽を積んでいきたいと思います。
ピョンチャン五輪では私より若い多くの人が奮闘していました。
栄光を掴めた方、惜しくも悔しく終わった方もいましたが、彼らが重ねた努力は本当に長く苦しいものであったと思います。
ほんの一瞬の光が当たる時に向けてひたむきに取り組む姿に、私も元気をもらうことができました。
あるメダリストが言っていました。
『こんな小さな町で育ち、こんな小さな町では夢なんて叶いっこないと思っていました。でも今はこの町で育ったからこそ、メダルが取れたのだと思います。大切なのは支えてくれる家族、仲間がいること、そして強い熱意があれば夢は叶うのだと思います。』
平成30年2月28日 松山敏之 記